"書く" の点と点が線になったけどまたほどけちゃった話。

デジタルだとかウェブだとか、テクノロジーがどうのとか言ってますけど

なんだかんだ言って、私は「紙」とか「書く」にご縁のある人生なんだと思います。

 

実家は印刷屋だったし

書道は25年やってるし

代理店の時も、印刷物も散々やったし

結局いまも、ご縁をいただいてステーショナリーのお客様にサポートさせていただいてます。

 

 

だから最近「書く」ことについて改めてよく考えたり、話したりしてるのだけど

 

① この前どっかの誰かが、そういえば学生の頃に、遠距離の彼女と文通しまくってて、その時の手紙はどっさり箱に入れて、たぶん家のどこかにあるけど、もう一生開けないだろうなって話していたのと

 

② 私、一対一で語るのが昔から好きで、最近はチャットでよく、その時思ったこととか、感じたこととか、疑問とか、意見聞いたりいろいろしてるんですけど、これって「ディスカッション」でも「ブレスト」でも、「相談」でも「意見交換」でもなく、なんなんだろうねって話になって、その人は「壁打ち」って呼んでたんですけど、なんかそれもしっくりこないなぁって、それ以来ずっと頭の片隅にあって

 

本屋大賞を受賞した「コーヒーが冷めないうちに」の「夫婦」を読んでたら、主人公の夫婦が結婚前に文通していたというくだりがあって

 

④ 某書店の某カテゴリーで一番売れている本ランキングのトップ2と3が、写経ならぬ写仏だということを今日聞いて

 

 

そしたら今さっき、全く別の、もっともっと重くてしんどいコンテキストで「書く」にまつわることについて会話してたら、なんかふっと①と②と③の点がつながった(私の中で納得のいく形で線になった)。

 

 

中高の頃、親友と手紙交換をものすごくしてて、それこそ1限ごとに1通、的な。その時に書いてた内容って、先生の悪口とか親への不満、興味のあること、最近見た映画、クラスメイトのこと、将来の夢、お互い相手に対して思ってること(良いところも、不満も)、喧嘩した後の「ごめんね」だったり、どんな話題でもとにかくその時感じたことを手紙に書いて送りあってたなぁと思い出して

 

ただ、感じたこととか、思ったこととか、共有して、ふーん。って思って、それに対して、意見を述べてみたり、また全然違うことを書いてみたり、書き手のことを理解しようと推考する時間とか、要するにこういうこと?って確かめるための文章とか

 

なんかとりとめもなく、続くやつ。

 

 

それが大人になってから、「壁打ち」とか「資料」とか、女子会なら「恋バナ」とか飲み会なら「仕事の相談」とか、プレゼントに添えるメッセージとか「送迎祝いの色紙」「年賀状」でもなんでもいいんですけど、何か明確な「目的」のもとに何かまっとうな呼び方で定義されてないと、書いちゃいけない、みたいな。

 

書くって、人にとってなにかとても、プライベートなことというか

自分をさらけ出す行為であり、自分と向き合う行為でもあって。

 

やっぱりなんか、恥ずかしい、って思うじゃないですか。手紙を書くとかって。

 

チャットでとりとめもなく、感じたことを共有するのは似てるし、最初は同じことかと思ったけど、でもそれはまた全然、性質が違うんだよなぁ。なんなんだろうなぁ。

 

 

あぁ、やっぱりつながったと思った線が、またほどけちゃった。

 

 

とにかく、人とのコミュニケーションを無理に定義しなくていいや。っていうことと、

人にとって「書く」こととか、「手紙」ってどんな意味なんだろうと、考えています。

 

 

本当はね、もっと別のことを書きたかったんだけど、書けないから、いつかその時が来たら書きます。

 

おやすみなさい。