【うさみみの「働く」を振り返るシリーズ①】生活の中に「働く」が溶け込んだライフスタイルと「過労」はちがう

みんな、何のために働いてるのかな。

 

私は「働く」ことに関してたくさん想いがあって、よかったことも、間違ってたこともあったと思う。女性として無理しすぎた時もあったし、もっとこうすればよかったのに、と振り返って思うこともたくさんある。

爆走してきた20代最後に区切りがついて、改めて、自分にとって「働く」ってなんだったのかなとか、人生についていろいろと思考してたので

改めて、何を学んでこれからにどうつながるのか、働くシリーズでまとめてみました。

 

 

【うさみみの「働く」を振り返るシリーズ①】

生活の中に「働く」が溶け込んだライフスタイルと「過労」はちがう

 

最も身近なロールモデルである親の「働く」スタイルに影響を受けない人はいないと思う。私もその一人だ。

 

父は祖父から継いだ下町の小さな印刷会社をやっていて、6階建ての小さなビルに会社と自宅が完結していたから、生活の中に「働く」が常に溶け込んでいて違和感がなかったし、公私の境は全くなかった。

 

例えば、会社と自宅に合計 11機の電話があって、全部つながってるから(笑)いえ電=会社電話がしょっちゅう鳴っているとか。しばらく待ってても会社の電話を誰も取らないでいたら、幼稚園年長ぐらいから電話対応するのが当たり前だった。

 

家族旅行やディナーは父の仕事関係のお得意さんとか、取引先の家族といっつも一緒だったし、プライベートのお付合い=仕事のお付合いだった。母は上(自宅)で私を育てながら、下(会社)を手伝っていて、上と下の往復でバタバタしていた。下町の小さな会社ってどこもそういうところが多かったんじゃないかと思う。(ちなみにその間の階におばあちゃんが住んでいて、仕事と子育てと親の世話が全て一つの場所で完結してる場所ってきっと珍しい環境だったんだろうな、と今振り返って思う。)

 

そんな感じで「働く」が家庭生活の中に溶け込んでいたから、社会人になってからもあまり「仕事とプライベート」とか「ワークライフバランス」とかを気にしたことがなかった。定時になったら切り上げていい仕事があるだなんて信じられなかった。決められた時間の中で働く、という概念が理解できなくて。

 

「これくらいの時間・労働に対して、これくらいの賃金をいただく」という発想じゃなくて、起きてる間は働いてる、という感覚。どこにいても仕事のヒントがあるし、お給料を頂きながら色々なことをお勉強させて頂いている、成長させて頂いている、という気持ちで働いていたと思う。仕事は90%辛いことばっかりだったんだけど、きっと夢に続いていたり、何かしら好きなことにつながっていたから、そういう感覚で働けたんじゃないかなと思う。

 

世の中的には一見「過労」と言われるような働き方ばっかりだったけど(笑)、私は今、自分で選んでこの道を進んでいるという気持ちでいた。つまり、自分の人生は自分でコントロールできている、という感覚。確かに、月400時間働いてた時は、死亡しましたけどねww

 

残業が当たり前とか、ダラダラ長時間働くことが正しいとは思わなくて。

でも私が代理店を辞めたのは、長時間労働が理由じゃない。自分で自分の人生をコントロールできている、本当に社会(消費者)のために価値を提供し、貢献できていると思えなくなったから。第三者から無理やり押し付けられた業務を、ただ「やらなければいけない」という責務だけでこなし続ける日々に疲れたから。

 

時間的に「働きすぎた」んじゃなくて、「自分でコントロールできない」状況が続くと気持ちが本当に疲れてしまうんだね。

 

ただ、代理店の働きすぎカルチャー、日本社会の「めっちゃ働いてる奴がえらい」的な風潮は、ほんとにどうかと思うけどね。この問題はいろんな社会心理的要素が絡んでいるので、単に「これが原因!」って言い切れないのが気持ち悪いところだ。

 

兎に角、「働くが溶け込んだライフスタイルが当たり前」の私が、さすがに「働きすぎて燃え尽きた」わけだから、何をするにしても、これからはもうちょっとやり方を考えないといけないなとは思っています。そのちょうどいい塩梅を模索しているので、アドバイスあったらぜひください!