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とりとめもない話:ウサギとヒグマ論、「かわいい」信仰、からの新しい女子評価軸

女の子の働き方とか、働く上での気構え(?)とか、Gender equalityまわりで何かひっかかりがあってモヤモヤしてたのですが、最近それが納得できる考えに至ったのでここにまとめたいと思います。(いつかもっと端的にまとめたいと思ってますが、長文駄文です。)

 

 

 

たぶん、新卒1年目が終わる頃(24歳頃)だったと思うのだけど、この先働く上でどういう心構えでいこうかな、って悩んだことがあった。

 

まだ一人前の社会人とはいえなくて、先は遠いなぁ、、、と遠い目になっていたのですが、本気でその道越えてくなら、

 

いつもどこかにある「女の子だから(許してちょ)」という自分の甘え心と、

周りの「女の子だから(しょうがないよネ)」の甘い誘惑

 

を断ち切って、腹くくらないと到底乗り切れないと思ったからである。

 

その一方で、「女の子らしさ」は随所で期待され重宝され、むしろ女の子らしさがないと期待を裏切られた感を出されるし、でも女の子らしくすればするほど、一人の社会人としてナメられるという矛盾。(いやお前そんな女子力あったっけ?ってツッコミは受け付けません。)

 

受験に勝ち抜いて、国立大とか海外の有名大学を卒業してて、人生の最初から「優秀な女の子」っていう設定でキャリアをスタートする女の子だったら話は全然ちがったのだろうけど、私はそうじゃなかったから、若さと可愛さしか売りがなかった(汗)でも仕事はしっかりやりたい、一人の社会人として認めてほしい、でも実力がない、っていうジレンマの中でぐるぐるしてたと思う。

 

結局その時は他にも死ぬほどたくさんの仕事が山積みだったので、もがきながら結局そんな悩みは忘れて没頭していった気がする。(つまりその課題は未解決のまま放置された。)

 

  

その課題が最近ふとしたきっかけでカムバックして、改めてちょっとオトナになった頭でしばらく(たぶん2ヶ月ぐらい)ぼんやりと考えていたのですが

 

 

このモヤモヤを整理すると「ウサギとヒグマ論」とかわいい信仰なんじゃないか、そしてそれを解決するのは新しい女子の魅力軸、という結論に達したのでここに記したいと思う。なんのこっちゃ。

 

 

なにかを褒める時に使う超便利ワード 「かわいい」

 

 

かわいい、かわいいってよく言いますけど

 

人は何をもってある対象を「かわいい」と思うのかなと考えたら

 

(見た目の趣味趣向は人それぞれあるが)自分より確実に弱者に対して抱く感情だよな、となり。

 

犬とか、子供とか、女性とか、アニメキャラとか

 

絶対に自分の存在を脅かさない存在に対して、人って「かわいい」って感情を抱くんですよね。

 

言わずもがな、可愛いの意味は元々「かわいそう」「気の毒」で、小さいものや弱いものに対して手を差し伸べたくなる感情と、気の毒で見ていられないという感情には近いものがあり、「気の毒だから助けてあげたい」が「愛おしい」といった趣旨の意味に転じたと。

gogen-allguide.com

 

 

つまり、ウサギを「かわいい」と思う人は多いけれど、今にも自分に襲いかかってきそうなヒグマを見て「わーかわいい。」って思うバカはいないわけで。

 

 

でもそれと同じことが現代の職場で起こっているわけです。

 

 

ぱっと見ウサギかと思ったら中身ヒグマだった、とか。笑

本人はウサギのつもりでいるんだけど周りからヒグマ扱いされる、とか。笑

ヒグマなのにウサギのように可愛がられたいと願ったり。

ウサギにもヒグマにもなれず、どっちつかずで悩んじゃったり。

ウサギでしか生きていけないと強制的にウサギに徹しなければいけない状況があったり。

逆に、無理にヒグマを貫いてヒグマであり続けることに疲れちゃったり。

 

しているわけですよ、世の女子たちは。

 

 

もう絶対に相反する2つの性質の狭間でもがいている、それが現代の働くガール。

 

 

 

それで、どうしたらいいかなと考えてみたんだけど

 

 

 

もう、世の女子を「かわいい」で評価するのやめません?

もう、かわいくなろうとするの、やめません?

 

 

っていう極論。

 

 

 

 

これ実はかなり根深い問題だと思っていて、なぜかというと、ちょっと話が飛躍しますが、無宗教大国ニッポンの宗教って実はあって、それが「かわいい」信仰なんだと思うんです。(根底には神道があると思うのですがそれはおいといて。)

 

 

ムズカシイ歴史の話は置きつつ、第二次世界大戦後に愛国心やニッポン人としてのアイデンティティーを喪失させる策の一環として、熱心な信仰がタブーとされた戦後の日本ですが

 

キリスト教徒だったらイエスとかマリアとかに癒しと救いを求め

その対象が宗教が変わればアラーだったりブッダだったりする

 

もうみんな疲れちゃってるから、こんな汚い世の中(と自分)とは懸け離れた、清らかな別世界の「何か」に人って癒しと救いを求めて信仰する。そしてその「何か」は絶対に自分を脅かさない。

 

 

それを奪われた日本人が、無宗教で暮らせども心のよりどころはほしいわけで、その結果何に求めたかというと「かわいい」なんじゃないかと思うんです。

 

 

だから男性は女性やペットや二次元のアニメキャラを見て「かわいい」と

女性は子供やペット、ゆるきゃらを見て「かわいい」と

誰もが何かしら「かわいい」対象をもって癒しを求めている。

 

 

社会生活を営む人間だもの、周りの人から、コミュニティから、社会から、受け入れられたい、認められたい、必要とされたい、と思って適応していくのは当然で、かわいいレベルと承認レベルが比例して上がるなんて3歳にでもなればどんな女の子も本能的に気づくわけで、そこまで根源的な人間の欲求の対象として求められる「かわいい」をやめるなんて、承認欲求と自己価値を犠牲にするような発想は普通持たない。

 

 

じゃあそのままでいーじゃん。世の女子たちよ、かわいくあれ!いとおかし!

 

 

って言っててもいいのだけど、それだと女子の社会的地位はいつまで経っても改善しないし、女性の管理職なんて増えないって。だって、誰も受け入れてくれないようなヒグマに、誰が進んでなりたいと思うんだ。

いや女子はみんな管理職になるべき!じゃなくて、どの業界、ポジション、社会的役割(働くも主婦やるも)であっても、もっと自信をもって活躍できる、尊敬される価値がもっともっとあると思うし、そのために何ができるか考えたい。という勝手な責任感。

 

 

そんななか、先日、心の底から「なるほど!」と思ったことがあった。

 

なんでか忘れたけど「子供かわいい、かわいくない」話をしていた時にある同僚が、「欧米の人たちって、 "I like children (because they are cute)." って言わないよね。」って言ってて、確かし!って叫びました。

 

日本だと「こどもかわいー!」「こどもってかわいいから好きー!」とかよく聞きますが、欧米ではそんなことわざわざ言わないですよね。むしろそんなこと言ってたら、頭おかしいんじゃないかって思われそうなぐらい。(特に男性が言ったら小児性愛者かと疑われるんじゃないか。)

 

なんでかっていうと、どんなに小さいこどもでも、一人の自立した人格として尊重しているから、弱者扱いして「かわいい」とは言わないんですね、きっと。一方で、赤ちゃんのことは "cute" って言いますよね。赤ちゃんはスーパー弱者だから。

 

大人の女性に対しても同様で、大学のクラスでみかけた女の子を男の子同士で "She's cute." とか言うことはあったとしても、デートで男性が女性を褒める言葉は絶対 "You are beautiful."ですよね。

 

"You are cute." って、軽んじて聞こえるんですよね。大人が使うと「あの子(中身と頭は知らないけど見た目は)かわいいな(ヤれるかな)」ってニュアンスですよね。(言葉が悪くて失礼!)

 

 

つまり何が言いたいかというと、「かわいい」ではなく「美しい」軸で女性の魅力を測れるようになれたら、もっと女性が周りからの評価を気にせず、めいっぱい輝けるのではないかということです。

 

 「仕事ができてカッコいい(尊敬する)」と「かわいい」って相容れないけど

 「仕事ができてカッコいい(尊敬する)」と「美しい」ってうまく共存できる

 

 

凄い凄い理想論だって自分で書いてて思う。でも女性を一人の自立した個性として尊重できれば、自分を脅かすヒグマでも、ただ静かに癒してくれるかわいい信仰対象のウサギでもない、一人の美しい女性として目に映るんじゃないかなぁと思うのです。

 

 

Doveは Real Beauty Sketchesで「あなたはあなたが思っているよりずっと美しい」を問うておられましたが、そもそも日本人女性の多くが自分が「美しい」って思えてない、そもそもなスタート地点にいて。

 

Always/Whsiperは#LikeAGirlで「"女の子らしく"っていつから侮辱になったの」と問うておられましたが、男女限らず多くの人が「(多少侮辱されても)女の子らしく(かわいく)いること」が正解だと思っているのが日本人なんです、そもそも。

 

 

どちらも一部で話題にはなりましたが、広告・コミュニケーションとして正式にローカライズ・ローンチされなかったのはインサイト刺さらないからだったと思います。

 

そう考えると、本当に日本人女性(とその周りの日本人全般)をinspire & empowerするためには、もうちょっと別のうまい方法、伝え方があると思っていて、そこをうまくやれそうだよなぁ。って最近思ってます。(思ってるだけじゃなくてやれ!)

 

そんな風に自分なりに論旨まとまってスッキリしたのでした。

 

 

今回もスーパー長い記事になってしまいました。。。ここまでで3871文字、原稿用紙10枚。軽い小論文だー。

もしここまで読んでくれた人いたらご連絡ください。ありがとうございます、ってちゃんとお礼をお伝えさせて頂きたいです。

 

ご意見あったらぜひ聞かせてください↓

furuya.75@gmail.com